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第1016冊 花埋み(渡辺淳一) [読後感と一首]

2015年8月4日(火)
 これは以前読んだ記憶があったが、後半になるとちょっと自信がなくなってきた。先の与謝野晶子といい、この萩野吟子といい壮絶な生き方をした人だと思う。時代は若干晶子の方が新しいがちょっとダブっている、しかし全く交差するところはなかった。私はもっと華々しい最後かと思っていたが、ひっそりと亡くなった姿は吟子の思った通り、周り中の反対を押し切って14歳下の男と結婚し北海道の開拓団に加わり、慣れない鍬や鎌をもって荒れ地を切り開いた。それも惚れた男について行ったからである、この男は40歳いくらいであっけなく死んでしまう。
*才能と情熱の二つが成功を導く鉄則萩野もしかり
 国家試験による開業医認定の最初の女性合格者となる。それより前結婚したが旦那から性病をうつされ離縁された。東京で病を見てもらった辱めが起爆剤となって「医者になろう」という決心をした。明治初期のことでなかなか女医のみちは開けなかったが・・・・・
 私はもっとキリスト教のことを深く突っ込んでほしかった。北海道の開拓もキリスト教的な動機だった。どこからそんな行動が出るのかしりたかった。中に二つの開拓団の宗派の違いによって決別するということが載っている。また、仏教や神道などの開拓団がないのも不思議である。他の開拓団はほとんどが農家の二男三男とか仕事で失敗した人が来ていたとのこと。

 今年も白山登山の季節がやってきた、一週間前に一人で行ってきたが、やはりえらかった。女子供に追い抜かれ、予定時間を大幅に遅れ、写真を撮ろうと思っていったのだがそんな余裕はまったくなかった。ただよかったのは60段の階段を20回上下する訓練が効いて足が全く痛くなかったことだ、では何が?どうやら心肺機能であるらしい。急いで登れないのだ、下れないのだ。実は明日も今度は娘と一緒に上る予定だ、途中から娘に先に行ってもらい自分は写真を撮るというのも面白いと思っている。娘が下りてきたらそこで昼飯だ。まあどうなるか分からんが・・・・・

第177話 (98/2/6) P42-1  20150802
「あんた今日の算数何点だった?」 ママが探りを入れる。
「2点」
「どうして?」
「先生が5掛ける5は幾つかと聞いたので、35と答えたの」
「そりゃ、おかしいよ! 25と答えなきゃいけなかったのよ」
「どうして? それでは少なすぎるよ。僕は35と答えて2点しか呉れなかったんだよ」
<訳者独り言>私も小学校の頃掛け算か割り算かで悩んだものだ。

第1017冊 インカとエジプト(増田義郎、吉村作治) [読後感と一首]

2015年3月16日(月)
新書版の薄い本であったが、一気に読んだ。
増田はインカの吉村はエジプトの専門家だが、二人の対談で構成されている。
二つの文明は全く没交渉で成り立つが極めて似ているとのこと。時代は大きく違うだろうが生まれた結果は酷似している。私はエジプト旅行を計画しているが、その準備のひとつとして読んだものだ。改めて大きな感銘を受けた。
 人類はアフリカで生まれ、全世界に広まったわけだから、そんなに違いがあるはずがないのだ。以前、環境のことを勉強していたとき、最後の氷河期にアラスカのベーリング海を渡って、モンゴール系の人アメリカ大陸へやって来た。だから、南米人にはモンゴール班あるという。その人たちが南米の端まで行き渡るのに1000年と掛からなかったと記憶している。が、欧米の学者たちはインカとかアステカ、マヤを遅れたものと決めつけここ300年ほどたつ。しかし、スペインが攻めてきて荒らしまくったときのロンドンやパリの人口は数万人だったのにかの地では20萬の都市が存在していたのです。
 一番二つの文明の違うのは文字のあるなしだという。その他、農業、食べ物、肥料、農機具、家畜、政治、経済、商業とうとうあらゆる面から二つの文明を比較している。こうしてみると二つの文明にはほとんど違いがないことがわかる。

第990冊 天と地の守り人第一部(上橋菜穂子) [読後感と一首]

2014年8月14日(木)
 テレビを見ていたら、どんな番組か知らないがこの本のこと著者のことの紹介が有った。なんでもかなり評判の高いものらしいというので遅れてはならじと図書館で借りてきた。確かに図書館でもかなりの売れ筋というか評判らしく貸し出し中のものもかなりあった。そのくせ図書館員が知らないというちぐはぐなこともあった。でも、本屋では文庫になっていることもわかった。
 著者はアボリジニを研究する文化人類学を専攻し、その結果こ(れら)の小説が生まれたらしい。児童文学というが、確かに大人向けというには・・・・という感じだが面白かった。先の番組でも子供の感想はなく大人ばかりだった。この小説は3部まであるがその第一部である。350ページほどあるが活字が大きくすぐ読み終わるのであるが、第一印象は、ホンワリとしたとしか言いようがない。話はこれまで出した小説なんかからの続きであるらしいが、登場人物や地名国の名前とうがそれらを(以前の小説の)引き継いだものなのでわかりにくい。地図や登場人物の紹介があるが、後半になって初めてこれの参考書が役に立った。
 今日別の図書館からその初版本というのか以前のものを借りてきたがそれを先に読むべきか躊躇している。若い皇太子と女性呪術士が出てくるがちょっと年も離れているせいかもしれないが、それこそ色めいたことが少しもないというのが児童文学の児童文学らしいところか。

第981冊 『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ) [読後感と一首]

2014年6月5日(木)
 なんだかんだと一週間ほど掛かった。ヨーロッパでは随分読まれたものらしいが、私としてはよくぞ最後まで読み切ったなあ、という感じである。何故こんなものを詠みだしたということは思い出せないが、短歌だとか環境だとかいうなれば詰まらぬ実用書ばかり読んでいてもつまらないからというようだった。たまたまゲーテの「ウイルヘルムマイスター」とか「修業時代」なんていうのが見つかったがやはりゲーテと言えば『若きウェルテルの悩み』だと思い探したらあった。これは私が買ったものだが読んだことは無かった。
 内容はともかくナポレオンが愛読したというのも面白いし、かのキリスト教の世界で自殺者が増えたというのも面白い。私は主人公は鬱病ではないかと思った。何となくロッテとヴェルテルの家族関係とか家がどれだけ離れているのかなんていうことは分からないが。婚約者がいる彼女(ロッテ)の家へ入りびたりだとか、結婚後も出入りしているという感覚は私には分からない。その辺は今も昔も洋の東西を問わず同じではないかと思う。光源氏だの徳川の将軍なんかだと許されるだろうが、いかに貴族と言えども話題になったらしい(小説の中でも)。その辺の異常感覚が私にはついてゆけないのである。
 ゲーテのものでは「イタリア紀行」だった思うがイタリアへ行く直前に読んだ記憶がある。同じ著者でなくても、もう2,3冊この手の本を読んでみようかと思っている。それこそこれが最後だろう。

*久しぶり ゲーテを読んで 無感動 時代なのか 自分の歳か

第30話 (1997/9/11)――――ロシア―――

爺さんと婆さんが青春時代を回想しようと決め、ある場所で会う約束をした。

爺さんは金をかけて花を買い、定められた場所へやってきた。
待つこと2時間婆さんは現れなかった。
3…4時間とうとう現れず、爺さんはすっかり腹を立て家へ帰ると、婆さんは座ってお茶を入れていた。

「一体お前というやつは!老いぼれめ!どうしてこなかったのだ」

「だってママがあたいを行かせてくれなかったんだもの」

<訳者独言>なかなか良くできた、ほのぼのとした小咄である。婆さんが行かなかったのは最初からその積もりがなかったのか、何かの都合で行けずアドリブでこのように答えたのか……・・





第971冊 三十一文字のパレット(俵万智) [読後感と一首]

2014年3月20日(木)
 読後感も半年程ぶりだろうか,この間何も読んでいないわけではなかったが、載せる元気がなかったのである。でも確かに載せるものも少なくなったという気がして、これじゃいかんということになった。調べてみると欠番やらダブり番などもあり一応直した。
 さて、俵万智だがこれもたくさん読んでいる。今回のこれは2000年くらいに出たものだがこの種のものは古いからと言って何ら問題にならない。中央公論か何かに連載していたもので、あるテーマに基づいて、それを詠った短歌を3首ほど選び感想を述べたものだが、10年ほど続いたのだろうか、なかなか面白い。歌はほとんどが現代歌人で万葉だとか古今集」などはほとんどない。明治以降の与謝野晶子、斉藤茂吉、石川啄木なんかもほとんどない(ように思う)。ただ、女流歌人のものが多いという印象は否めない、またテーマも料理とか着物とか子育て等々女性に関するものが多い。中のあとがきか何かに書いてあったが、「短歌入門」などと違って、たくさんの歌集を読まなくてはならないので大変な仕事だったとのこと。同じ人のものはほとんどないのだから大変だと思う。でも、あれだけ書いて月云十万の金が入るのから・・・・
 これとは関係ないが、短歌会にでると年取った女性が多い、これは最近の趣味の会の一般的な傾向らしいが、俳句、詩吟はもちろんだが、太極拳も女性が圧倒的だ。男性が殆どというのは囲碁、将棋、??くらいか
こんな歌を作った。
*亡き夫(つま)を 恋しく想う 歌多し 亡き妻想う 歌は少なし
 私の属している歌会には88歳が3人その他寡婦ばかりが3人いるが一人を残してほとんどが亡夫の歌を繰り返し詠んでいる。一般に老い、孫、同窓会の歌は詠うなといわれているらしい、うちの婆連中は平気である。それにひきかえ男の歌には亡き妻を詠ったものは少ないように思う。これは俵万智のようにたくさんの歌集を漁ったわけではないが・・・・
 

第966冊 泥流地帯(三浦綾子)一部書き直し [読後感と一首]

2013年8月12日(月)
 久しぶりに著者の物を読んだ。嘗ては月に2,3冊読んだ記憶がある。
 今(午後8時)鶴瓶の「家族に乾杯」を見てたら、カナダの特集だった、どの家族も素晴らしかった。この本の家族も貧しい中に仲良く、楽しい、幸せな生活を送っていた。私はこれで良かった良かったで終わるのかと思っていたら、とんでもないドンデン返しが待っていた。それが泥流だった。十勝岳の噴火による泥流というのか、火砕流というのか、アッという間に家族をずたずたに引き裂いてしまうのである。爺さん婆さんは泥流に流され死んでしまう、妹も姉も死んでしまう。母は10年以上も家を離れて、家族にも会えず、やっと帰れると思っていたら、二人の娘が死んでしまった。話はうまく出来過ぎているが、こういう家族もあっただろう。
 インタネットで「十勝岳 富良野 泥流」で検索したら、石川県は羽咋市出身の人がその半生を書いていた。長いのでまだ読んでないが、昭和15年か16年の話だという。著者は言わずと知れたクリスチャンである、さっきのテレビでもあったがイラクではクリスチャンは冷たく扱われる、だからカナダへ逃れてきたという。中に2つか3ッつキリスト教的な話が出てくるがあまり中心的話題ではなさそうだ。しかし、平生行いの悪い人が、災害に遭い、行いの良い人は助かる、そういうことを言う婆さんが出てくる。以前私も東日本大震災の時、牧師に聞いた「先生、神様は何も不満なく真面目に生きていた人々を津波で浚ってゆくんですか?神様は人間の幸せを願っているんじゃないのですか?と聞いた」、答えは「神様の考えていることは私にはわかりません」だった・それが、私がキリスト教を離れるきっかけになった。
 それと、津波、山津波、地震、台風など自然災害は諦めもつく。しかし、しかしである、原発爆発や銃乱射、中でも戦争は許せない。人が人を殺しあうなんていうことが許されるわけがない。
*泥流や 火山爆発なら 諦めよう 戦争、原発は 許せない罪
*人類を 愛する神が なぜにまた 幸せな人を どん底にやる
*仏教は 業だ縁だと 説得し 諦めることを 納得させる



第961冊 歌よみの眼(馬場あき子) [読後感と一首]

2013年7月14日(日)
 2013年7月13日(土)
 日の経つのがやたらと早く感じるようになってきた。この本も1週間ほど前に読みあがっていたのだが、今日午後載せよう、明日載せよう、と思っているうちに1週間経ってしまった。
 特に歌作のときはこんなことに気をつけよ、文法がどうの文語がこうのなどということは一言も言ってない。単なる歌題にまつわる随筆である。でも面白かった。始め方では幼い頃、病弱だったとか、母親が亡くなったのでお祖母さんに育てられたというようなことが縷々述べられている。中盤位に「命」に関するいくつかの話が載っている。私にはよく分からなかったが、ただ思えば日本の言葉というのは漢字とは無関係に存在したものであり「命」というのは当て字である。ところが「命」には命令という風に「いのち」とは関係のない意味があるためにややこしくなるわけである。また熟語なんて言うものは日本語にはなかったはずで、万葉集はずべて和語でできている、したがってどの歌もヒラカナで書いてもよくわかる。そう思って今百人一首をさらっと眺めてもほとんどがk那時の熟語なんて出てこない。ということは会津八一がカナ書きでうたったというのは、そういう意味があったかとおもい、「会津八一歌がたみ 奈良」と言うのをちょっとめくってみるとそれに近いことを書いてある。これについてはまたいづれ・・・
 この本にも万葉のことが載っているが、先の「命」にまつわることだった。正直言ってよくわからなかった。只万葉の本の中には必ず額田王とか大化改新、壬申の乱が出てくるのにはちょっとびっくりした。
 他の歌題としては、著者専門の能とか謡にかんするもの、花に関するものがさすがに多かった、いろんなことで日本のあっちこっち旅してるんだなあと思う、役徳と言うのだろうか。碁の話も面白かった。

*熱はない されど身体 がだるい 熱中症なんかに 縁はないはず
先週だったか、東京へバスで行き、その日の夜行で帰るという強硬もあったのか、
*太極拳 出席はしたが 壁際で 座ったきりで 何もせず帰る
*短歌会 目当ての人が 図書館で 待っててくれたに ハイさようなら
最後の歌は説明が要るかもしれないが・・・、ようするに頭も体も回らない一週間だった。



第942冊 100歳の言葉 100選(日野原重明) [読後感と一首]

2013年4月15日(月)
 これは確かイタリアへ往く前に読みあがっていたと思うが、本に飛行機の中のスチューデスの印象の歌が載っているので、どうやら持っていたらしい。いずれのしても何やかやと載せ遅れた。日野原氏の前冊の刺激をうけてアマゾンから古本を取り寄せたものだ。場合によっては図書館に寄付してもいいと思っている。前冊が95,96歳の時の著作だがこれは正真正銘100歳になってから(1911年生まれで2011年発行)の著作である。これだけの題材を集めるだけで大変な作業だと思う、もちろん秘書だとか家族などが応援するのだろうが、文章は自分で書いたものだろう。ともかく多忙な人である、「はじめに」にあるように、
『何とも忙しい百歳なのです。医師として診療や回診、聖路加国際病院理事長としての執務、各財団法人やや学会などの会議や講演、また「新老人の会」を主宰して、その活動のための講演、小学生たちへの命の授業など、大変忙しい毎日を送っています。・・・・・この序文も、いま朝の回診を終えて、移動中の車の中で書いています。膝の上に、外国のおみやげとしてもらった、小さなクッション付のラップデスクをのせて、横書きでペンを走らせています。先方に着いたら秘書にファックスして、データなど補足してもらい、その清書された原稿を、病院で受け取ったり、次の移動先でチェックしたりします。・・・」
 いろいろの人の名言があるが各章の終わりにある著者自身の一言(百歳からの一言)が最も好きである。
第1章は長いので略
第2章 最後のステージには、勇気と行動がひつようです。
第3章 ともに喜ぶと喜びは倍になる、ともに悲しむと悲しみは半分になる。
第4章 創めることは未来に花を咲かせることだ。
・・

メモしてあった旅行中の駄作を載せておきます。
*業務とは いえどもあの顔 美しい JALの女に 一目ぼれせし
*ものすごく でっかい空港 ドバイ港 端から端まで5キロほどもある(何キロか調べたが不明)


 

第940冊 人生百年私の工夫(日野原重明) [読後感と一首]

2013年3月24日(日)
 昨日だったかちょっと言及したが、97歳の翁から借りてきたものだ。
 一杯名言、至言がある、これだけを集めても一冊の本になるほどだ。各章のタイトルだけでも今言った名言集になるかも。
第1章 長く、豊かな『人生の午後の時間」が始まる。
 *常に、上り坂を上っている気持ちで
 *自分で自分を育てて行く季節
 *六十歳は老年期ではない。老年への準備が始まる「中年期にあたる
 *人生の「折り返し点」を考える
第2章 年とともに、自分の人生を自由にデザインできる人
 *老いは、生き方の選択が自由になるチャンス
 *老いを充実して生きるには、「子離れ」がだいじ
 *”戦艦”の乗組員から”ボート”の船長になる
 *残り30年の毎日を充実させるための「人生の羅針盤」
 *「いつかはああなりたい」と憧れる”生きた教科書=モデル”を探そう
 *サークルやボランティア、クラス会には積極的に参加する
 *”モデル”になりそうな人を見つけたら、積極的に声をかけてみる
 *私の”モデル”オスラー博士との出会い、そして私が実践したこと
 *目標にする人は作家でも、歴史上の人物でも構わない
第3章 生きるということはアートである
・・・
・・・
等々である。
 ともかくタイトルばかりでなく内容も「なるほど、なるほど」と思うものばかりである。一つ一つ上げればきりがないほどで、一冊全部載せるしかない。ともかく私が驚いているのは、この種の本の内容というのはかなり似たようなことがたびたび出てくるという印象があるが、それがない。氏は60歳を境に老年と中年というのか、折り返し点として、60歳以降の人を対象に書いているようだが、70歳近い私としては自分のこととしてとらえた。印象的だったのは、初めは趣味を増やせ、趣味を持てと言ってたように思うのだが、後半になると仕事が大切だ、何でもいいから仕事を持て、と言っている。私はいささかこれには反対したいのだが、それも今私が何もやってないからかもしれない、逆に氏が未だに現役として矍鑠として医師の仕事をしているからそういうのかもしれない。スエーデンでは誰もが65歳を過ぎたら悠々自適の生活を送るという。私はそれが憧れである。またそうでなくては働きすぎの日本人と言われる。確かに金のために仕事をするというのではないかもしれないが、ボランティアだろうとパートであろうと仕事は仕事である。実はこれを読んで「じゃあ、あの注文の来なかったソフトを開発してお客さんに喜んでもらおうか」とも思い、先輩に相談したのだが「それはいいことだ」と言ってくれたので力を得た気持ちだったが、今は(まだ3日ほどしか経ってないが)・・・・・・である。
 それはともかく、著者の人脈の太さには驚く。各章、各節に出てくる人は皆違っている。
 最後にこの本の帯に出ている至言を書く。
*クヨクヨしたときは、とにかく歩く
*その週にためた疲れは、その週のうちにとる
*静かな自然の中より、ストレスの多い都会に住む
*子供に見返りを求めず、生きがいを探す
*20年後ああなりたいと憧れるモデルを探す 

第930冊 道ひとすじ(上田七加子)・・・可也手を加えました [読後感と一首]

2013年2月4日(月)
 昨日読みあがったのだが、途中まで書いて寝てしまったら消えてしまった。
 家内が買ったものだが、あっという間に読んだしまった。今までのような「おもしろかった」というよりは、簡明な文章で、話がくどくなく淡々と、自慢話がなく、あっさり書いてあるのが好感を持って読めた。元日本共産党委員長不破哲三氏の奥さんの自叙伝というか共叙伝である。前半はともかく、中盤以降は旦那なしの生活はなかったのだろうが、娘の話や孫の話は全く出てこない、旦那ひとすじの道である。
 奥さんも選挙に出るのかなと思ってしたがそれはなかった。縁の下の力持ちというか、縁の上の弁慶のような存在で切り盛りしてしていたという感じである。
 それにしても不破(ペンネームで実名は上田)さんが自民党なり民主党にあれば、大臣にでも総理大臣にもなれた人だと思うが、マルクス一本槍、共産主義ベッタリの一生である。私が学生時代の哲学の教授は日蓮宗の坊主でありながら、共産主義の講義をしていた。なにか質問をすると「お前は資本論を読んだのか!」としっ一喝したので誰も質問する人がいなかった。それで私も古本屋から一冊買ってきたが未だに10ページも進んでいない。それはともかく、なぜ今頃マルクスなのか、レーニンなのかという思いがする。学者ではないのだから、いや学者でもまだ資本論を云々していてはやってゆけないのでは。共産党の旗を掲げているのなら資本論抜きにはあり得ないのだろうが・・・・それにしても・・・と言いたい。聖書の解釈に一生を捧げている牧師や学者を何人か知っているが似たようなものか。
 でも、不破氏は本当に共産主義社会が実現できると思っているのだろうか。この本は氏の自伝ではないのでその辺のことは全く書かれていない。ただ、自分たち夫婦のことが書かれているだけだ。かといって不破氏の書いた自伝が仮にあったとしても読もうなんていう気には今のところなれない。

*夫婦だけ ひとすじの道を 歩むのは 勝手だけれど その道はどこへ
*旦那様 マルクスなんかを いつまでも 後生大事に していていいの?
 
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