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初夏だ!! [日記 一日一首]

2013年5月30日(木)
 初夏ですね、加賀平野は麦秋間もなくですね、一面黄色の麦です。
*減反の あおりで加賀の 穀倉も 金にならない 一面の麦
 
 図書館でちょっと俵万智の「プーさんの鼻」を見てきました。何となく「サラダ記念日」より迫力がないように思いました。お腹の中の子供の動き、生まれたすぐの子供の様子等々どれもわかりやすいのですが、分かりやすすぎるという感がしました。

第952冊 トリアングル(俵万智) [読後感 + 一首]

2013年5月30日(木)
 一昨日だったか一昨昨日だったかに借りてきたものだが、前冊の・・・なんだったか忘れてしまった・・・そうか「言葉の虫眼鏡」を一日で上げ、この種節も2日で上げてしまった。本当はこの方は途中で止めようと思ったのだが最後まで来てしまった。中間にたくさん歌が載っているのだが、どれもうまいとは思わなかった。それこそ、源氏物語なんかの歌とは違うような気がした。本人はそうは思ってないだろうが・・・
 また、性描写というのか濡れ場というのか交わりのことがかなり詳しく載っていた、それもそれに興奮するには私自身が年を取りすぎているのか、そういうものに食傷気味なのか兎も角繰り返し読むという気にならなかった。それは作者自身がそういう書き方をしたのかもしれないが、だとすると大したものだ。3分の2くらいまでは淡々と、二人の男との生活を書いていたので、なんだこれで終るかと思って止めようかと思ったが、もう少しとおもって最後まで来てしまった。そして・・・・なあんだ、シングルマザーの心理状態の説明を書きたかったんだと思い納得した。どこまで本当でどこからがフィクションなのかは分からないが、その心理状態がある程度分かった。未婚の母なんてどんな気持ちで子どもを育てているんだろうと不思議だったが、離婚した母親が子供を一生懸命に育てるのと一緒なんだなあと思った。男には分からない心境である。実は私の息子の嫁はある日突然出て行ってしまった、もちろん子供を連れてだが、正直言って孫がいなくなるのはつらかったが、彼女の気持ちがよく分からなかった。お腹を痛めた子供への愛情というが作者の場合、そういう衝動的なものでなく、40歳を過ぎると卵子の働きが亡くなってもちろん子供を産めなくなるという、恐れから妊娠したのかなあ、と余計な心配をした。そして、得た子供へのぞっこんぶりは最近の歌を垣間見ると、なんじゃこれはと思うほどである。子育てなんて言う面倒なことをよくするなあ・・・という気持ちである。
*俳句では 歌えないこの 心境を 恋や情熱を 見事に歌う

古今集だとか新古今などでも女性歌人というのは居たのだろうし、百人一首であれだけ恋の歌が多いということは多分彼の時代にもシングルマザーは沢山いたのかもしれない、面白い命題である。

俵万智に若干・・・ [日記 一日一首]

2013年5月27日(月)
 昨日も書いたが、最近は俵万智のものをいくつか読んでいる。彼女が未婚の母として東日本大震災以後石垣島(?)に子供と暮らしていることは知っていた。「プーさんの鼻」という歌集はこの子供が生まれるまでの過程だという、「サラダ記念日」から始まって、いくつかの歌集や随筆、歌論などを見ていたが、いつまでも恋だ男だというのには聊か食傷気味である。たまたま、エロ短歌というのかセクシュアルなテーマの短歌をインタネットで見ていたら、それとあまり変わらないのではないかと言う気さえしてきた。いま、たまたま彼女が書いた「トリアンガル」という小説を読んでいるが、内容の半分は妻子のある12,3歳年上の男との不倫がテーマである。「へええ、こんなものも書くのだ」と思っていたが。
 以前にも書いたが、97歳の短歌の先輩が、どこまで知っているのか知らないが、「いつまであれが続くか、年をとってもあれが維持できるか、どのように変化するか、変化できるか疑問である」という意味のことを言っていた。
 確かに百人一首は半分以上が恋の歌である。また、俳句より短歌の方が恋を詠いやすい、逆にいえば、恋多き人々は短歌に託する、ということは言える。それだけに死ぬまでこのまま突っ走ってほしいということもチラッとおもう。
*万智さんよ 振った振られたも 良いけれど 政治や月も 見た方が良い
*恋や子の 歌もいいじぇど 物足りぬ 違う分野の 歌も見せてよ
 

第951冊 言葉の虫めがね(俵万智):追加しました [読後感 + 一首]

2013年5月27日(月)
 ここのところかなり俵万智のものを読んでいる。「短歌のレシピ」と「考える短歌」は必要な時に、特に推敲しようなんて殊勝なことをやるときは時々引っ張り出してよむ。また、彼女は読売と毎日の短歌選者になっているらしいがともに私のところにないので、これから何とかして手に入れようと思っている。かといってこれらの新聞を毎日購読しようとは思わない。
 さてこの本だが、金沢の図書館で「プーさんの鼻」を探していたら、ほかにたくさんの著書があることを知った、その中の一つである。何かに書いた随筆風なものから論文風なものがごっちゃになったものだ。もちろん短歌に関するものだが、なかなか面白かった。また、よく勉強してるなあ、と感心し、ただでは短歌の世界では生きてゆけないのだと思い、ますます万智のファンになったような感じがした。初めの方は高校の先生らしく、文法というか近年の流行語のことが多く述べられている。「ら抜き言葉」「姓名の表記」「敬語の周辺」・・・
次の章は啄木から始まって寺山修二、河野祐子、茂吉、馬場あき子、窪田空穂、斉藤史、佐々木信綱、佐々木幸綱に関する感想が述べられている。中に斉藤史の*かなしみの遠景に今も雪降るに鍔下げゆくわが夏帽子 というのが紹介されている。「かなしみ」とか「遠景」というのは史の父が2・26事件で処刑されたことを指すらしい。これだけの背景なしには歌を読んでも分からないということと同時に、自分のことであればほっておいてもわかることなのだから難しい。分かる人にはわかるが・・・ということか。私は自分だけわかればいいじゃないか、人に分かってもらおうというのなら背景を説明する必要があるように思う。日本の歌100選の中にこの史氏の*お暇を 頂きますと 戸を閉めて 出てゆくように 行かぬなり生は というのが選ばれているが、相当老齢になってからの歌である。
 最後の方で万葉集、百人一首の中の恋の歌5首が選ばれているが、改めて百人一首をちょっと広げてみるとほとんどが恋の歌と言ってもいいほどのものであることが分かった。
 ともかく、短歌曼荼羅というのか気のおける本である。
*さすがだな 俵万智とう 歌詠みは 文法のほか 先人の歌を



第950冊 プロメテウスの罠(朝日新聞特別報道部) [読後感 + 一首]

2013年5月27日(月)
 これは2011年10月3日から2012年2月までの朝日新聞に掲載された同じタイトルの記事を単行本化したものである。私は当初かなり読んでいたが、だんだんと、東京電力、原子力安全保安員とか安全委員会とかに不信というか幻滅を感じだんだんンと読まなくなってきた。しかし。家内は今でも読んでいるようである。ここに、政府というか菅首相への幻滅というのは今でも感じていない。よくやったとは言えないが、あの取り巻きではしょうがないなあ、という気はする。先日ある自民党の男と「菅のどこが悪かったのだ?」という話をしていたら「国会の答弁では質問に答えるというより、自分の言いたいことだけを滔々と述べて終る、これじゃ話にならない」という話であった。原発事故に限ったことではないが・・・
 ちなみに「プロメテウス」というのはギリシャ神話に出てくる、「人類に火を与えた神」とのこと、原子の火を与えたかどうかはともかく、人類はその火に苦悶しているのである。まさかプロメテウスは原爆までは全く予想してなかっただろう。 

 さて、私は原発関係の担当は何を担保に「安全」なんていうことを言ってたのか不思議である。津波で自家発電装置や、バッテリーが使えなくなるなんていう醜態は恥ずかしくて誰にも言えるものではない。緊急連絡体制にしてもだ、現場の状況や指示が一向に伝わらない。かといって、テレビでは枝野幸男官房長官がなんだかんだと分かったようなわからないようなことを言っている。爆発が起きたというが、何がどう爆発したのか?この本でも「水素爆発」という言葉は出てこない。
 この記事の担当も混乱しているのか、3月末に観測が打ち切られた云々ということが始めの方で出てくる。しかし、そのあとで「官邸での5日間」と題して、官邸内の動きが出てくる。
 SPEEDI(スピーディーと言って放射性物質の飛散地域を予想するコンピュータシステム)のことも不可思議である。そもそも日本の官僚組織そのものが縦割りというが、文科省は予想データをSPEEDIにしたがってだすだけ、それを利用すのは原子力災害対策本部つまり官邸だというが、その官邸の連中は3月20日までSPEEEDIの存在すら知らなかったという、お粗末ぶりである。そのためご存じのように避難指示は同心円状に20キロとか30キロとかと言って出された。しかし現実はその範囲の外にも危険な個所があったのだ。
*真剣に 対処の仕方を 考える 責任のあるのは やはり首相か
*情報や 判断基準 ないままに どう対処しろと いうのか官僚
*逃げ回る 東京電力 幹部たち 撤退するとは どういうことか
*まったくの 底抜け対策 東電の 安全対策 無いに等しい

那殿観音の御開帳 [日記 一日一首]

2013年5月25日(土)
 車で45分のところに那殿観音がある。此処は例年5月の最終土日に御開帳があり、今日もそこへ行ってきた。その寺というか霊場は谷間にあり、周りは杉や欅に囲まれている。観音様は岩屋の中に御座り、信者の方々のご詠歌も響いていた。
*初夏の 緑に囲まれ 観世音 ご詠歌の声 谷に谺す
*この一年 よくぞ守って くれたぞと 感謝の気持ち 床に平伏す
*また一年 よくぞ守って くれよとぞ 祈る気持ちで 床に平伏す
*観音経 般若心経 誦す声に 吾もいつしか 口ずさみおり

竹垣の写真 [日記 一日一首]

2013年5月24日(金)
 竹垣の写真を載せます。携帯電話で撮ったのでいまいちですが、雰囲気は分かってもらえると思います。

MA340085.JPG

今日は暑い日でしたね。初夏というより夏ですね。ポスティングをやっていても3時間は続きませんね。

季節の代わりを詠った駄作を:
*おぼろ月 ケロケロの声に 誘われて 暗がりの中 田圃道を行く

ホタルが出ればいいのですが、我々の田んぼではまったくいません。隣町へ行くと山陰に富んでいるのですがまだ一か月早いですね。

竹垣の追加が完成した [日記 一日一首]

2013年5月23日(木)
 去年作った庭の竹垣がいまいち短かったので隣の車やガスボンベが丸見えだった。そこで竹垣を延長することになったが、見積もりを取ると40万円もする。やっと家内の稟議が下りたので注文したのが4月25日、連休明けには工事に取りかかってくれるのかと思っていたが十日過ぎても二十日過ぎても音沙汰なしだったので、しびれを切らして一昨日電話したら、昨日急きょ仕事にかかって、今日完成した。
 ところが、昨日途中経過を見ることができなかったので、今朝見ると若干私のイメージと違う、中柱の間隔が不ぞろいである。垣が全面盲で見た感じ余裕がない。職人におかしいと言っ照内に社長が来たので伝えた、なんやかんやと言ったが結局思うとおりになった。全体の高さがいまいち去年下のより低かったがこれはしょうがなかった。
 それにしても、原因を考えてみると、見積もりの段階で姿図をまったく持ってこなかった、それだと思う。
細かいことでいまいち不満足だが・・・・
*竹垣の 延長工事 今日終る されど満足 出来ぬ我は
*丈低く 隣のガスの メータが わずかだが顔を出しているのだ
*それでも 全体としては 満足だ 文句を言っ ても自分に唾する

そうした悶々とした気持ちでパソコン相手にレベル4で碁をやったが負けたり勝ったりだった。最初はべた負け、検討では何とか勝つということが三回ほど続いた。

それと、どうにも解決できないのが、パソコンんで透視図とか断面図を書くソフト開発である。こんなことができないの方情けなくなるが・・・・
*今までは 10分もあれば 解けたのに 今じゃ2日でも 10日でも解けない

 俵万智の本を2冊借りてきた、昨日金沢の図書館で借りてきたものだが、彼女、文庫本でもたくさん本をだしていることが分かった。「プーさんの鼻」というのもかなり話題になっているらしいのでちょっとみてみると、私にはいまいちだった。身籠る、生む、育てるという女性最大のイヴェントを扱ったものらしいが、ぴんと来なかった。前に書いたが、97歳の爺さんが、内容がない、これからもっと充実したものを期待したい、の「内容がない」にあたるのだろうか。角川の「短歌」という雑誌2011年12月号に『俵万智の「サラダ日記」から4半世紀・・・』という記事がある。その中で三枝昂之が「これから俵万智は何を詠うのかーー人生詠のリニューアル』と題して述べている。最後の方で『東日本大震災を受けての今回の行動と歌も、選択可能な一つの典型として短歌史に残ってゆくだろう。革命、思想、私記録からの脱出など、大テーマを担うことが戦後の短歌の必須条件だった。俵万智はその重苦しさを軽々と越え、大テーマなしでも今日の短歌は可能ということを身を以て示した。・・・・』結論はまたいずれ紹介しよう。

  

本なり新聞を見るのが怖くなる [日記 一日一首]

2013年5月21日(火)
 昨日から「プロメテウスの罠」の第一巻を読みだしたが、原子力というより日本の政治、官僚、業界が怖くなってきた。いずれ紹介することになろうが、その他少しずつ書いてきたが、安倍の改憲であり、アベノミックスである。それに最近は橋下維新の会の馬鹿げた発言である。新聞を見るのが怖くなってきた。橋下にしろ。安倍にしろ、勝てば官軍というのか選挙に勝ったら何をやってもいいと思っているのではないかと心配になってきた。
 私の基本的な考えは、抑止力というのか「何故戦争をやらないことに頭を使わないのか」、「慰安糞なんて前近代的なことを率先して止めようとしないのか」その努力が見たいのである。抑止のために再軍備をし核兵器を持つなんて言うのは愚の骨頂である。
*短歌なんて こんなことやってて いいのかな 安倍に橋下 石原さんが

第949冊 しぐれゆく(小島寅雄) [読後感 + 一首]

2013年5月18日(土)
 第945冊を読んでいたら、家内が「こんなのもあるよ」といって出してくれた。画文集とあるだけに絵と文が半分づつくらいだ。絵と言っても短歌や俳句をかいた色紙みたいなものもある。これらの字や絵は必ずしも上手だとは思わないが、氏の心が伝わってくる。特に文章は先の「赤とんぼ」と同じで淡々と気取らず思ったことを思った通り書き綴っている。これを読むとなんでこんなに焦ってるんだろう、なんでこんなに楯突いてるんだろう・・・と反省する。
 その中で「どこにでもいる良寛」という一文はある意味で印象に残った。著者は良寛会の会長をしていたが、北川省一さんという方はその人選に反対だった。総会で会った後、その人と一か月ほど著書のやり取りがあった。しばらく音信は途絶えていたが、ある日、北川さんから『「軍縮」という雑誌に「戦場で一発の弾も撃たなかった兵隊」という話が出てくるが、それは私の弟だから是非読んでほしい』という葉書が届いた。忙しさにまぎれ小島氏はこれを読まないまま北川氏は亡くなった。私はこの「読まなかった」という一行が引っ掛かった。北川氏は「良寛は私たちの身の回りにいる。私の良寛は私の弟なんだ」と話されたそうだ、それほど慕っていた弟さんは戦死してしまわれずっと心に残っていたのだ。
 著者は日本人だけに地蔵菩薩とか野仏などに非常に興味をもたれ絵にしておられる。だが、私には神は本当にいるのだろうか、という疑問と同じように阿弥陀さん、観音さん、地蔵さんなんて本当にいるのだろうか?と疑問に思うことがある。例の悟りの世代はどう考えているのだろうと思うことが有る。
 でも、この本を読み、分からないこともたくさんあったが、「ゆっくり生きようや」という気になった。
*ゆっくりと 焦らず生きよう 明日もまた 神も仏も 居ると思えば居る