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第909冊 会津八一歌がたみ 奈良(小笠原忠編 [読書感想]

2012年11月28日(木)
 会津八一はすべてヒラカナで歌を書いている。私も一時期(後で出てくる彼女とのラブレターを)ヒラカナで書いたことがあったが、会津の短歌は古語が多くわかりにくい。例えば「もふ」とあるが「思う」のことだとか同じように「ものもふ」が「物思う」だったり「もだせる」が「黙らせる、黙る」だったりそのほか沢山ある。明治中期から昭和30年代まで生きたひとだから分かる人にはわかるのかもしれないが、私なんかは古語辞典でないと分からない。やはり漢字でかいてルビを打った方が分かりやすいように思う。この本では品詞ごとにスペースを空けているからまだしもわかりやすいが、実際は31文字通しである。
編者によると聖林寺の十一面観音が20歳前の少女の裸をイメージして作ったのではないか、と言ってるので調べてみると「どこが?」と思わず出てしまった。行ってみてこようかと思っていたのだが、止めにした。ことほど左様にこの編者の解説はいまいちという感じだった、やはり自分の歌は自分の解説した方が臨場感も伝わってくる。他人の歌を解説していたのでは・・・・。今、昭和39年再版第二刷の「大和古寺巡礼」の聖林寺を見ると、是非一度見たくなるようなほめ方で、状況は変わってないと思うので、やはり行ってきたくなった。この本は後で記す奈良の旅に必ず持って行ったもので、当時唯一の案内書だったとおもう。この中にも会津八一がむかし聖林寺を訪ねた時の住持が老いてまだいるのに感激して「さくはなのとはににほへるみほとけをまもりてひとのおいにけらしも」と歌った歌が紹介されている。
 かねがね「神道とは」と思っていたのだが、聖徳太子以前、日本に仏教が伝わってきた直後はそれまでの神道とかなりの争いがあったとのこと、面白かった。(以下私見:私もどう見ても神道と仏教が一緒になるとは思えなかったが、太子さんが神仏混淆を見事やってのけたのだろう。)もう一つは廃仏毀釈だが、先の聖林寺の11面観音もその犠牲だとか何とか書いてあったのを見たが(この本だったかな?)、他にもいくつか例があるが馬鹿なことをやったものだ。
 会津八一は美術評論家といった方が適切なのかもしれないが、法隆寺、法起寺、法輪寺の研究で博士号を取った早稲田大学の教授だとのこと。生意気なようだが、それだけに歌には心がこもってないように思った、要するに美術品、建築物として仏像や寺を見ているのだ。先の前登志夫氏のほうは仏教というより神道のほうの造詣が深く、神々が何度でも出てくる、氏もまた山に登り修行している。奈良県に居ながら東大寺とか興福寺などがあまり出てこなかったように思う。
 奈良といえば宮崎暎子のことを思い出す、今はどうしているだろうと。隣の富山県は砺波市(今は南砺市?)水島の産だったので、何度か行こうかと思ったがとうとう・・・・しかし未だ今なら尋ねてゆける、車もあるし、高速もある、そこを通るたびにここかな?と思いだすのである。多分都会へ嫁に行ったことだろうから、弟が跡を継いでいるはずだ。彼女とは大学の間中付き合っていたが卒業、就職とともに別れた、何故か急に手紙を全部送り返し、「さようなら」といって一方的に分かれた、しかし10年間は夢にまで見た、若かったのかなあと思う。彼女は奈良女子大に行ってたのでわざわざ訪ねて奈良まで行った、この本も彼女の影響で買ったものだ。彼女と奈良を歩いたり、赤膚焼の里まで行きそこで抹茶の茶碗を買った、同じ列車で金沢まで帰った。そうそう、思い悩んで薬師寺の庭で座禅を組もうと、そこで中へ入って座禅を組みたいといったが高田好胤氏が「座禅ならそこの石の上でもできるだろう」と断られた、丁度得度式だったらしく、坊さんがたくさん来ていた、そして庭で座った、そんな思いでもある、学生時代のことである。東京に就職してからも何度か奈良へ行った、飛鳥の里が一番思い出に残る。丁度秋だったので甘樫丘からみた黄金の稲穂や香具山だったと思うが山の姿を思い出す。その丘には万葉の歌があっちこっちに飾られていたように思う。何か一首か二首作ったという記憶はあるが跡形もない。
 奈良の思い出といえば、戒壇院の広目天である。惹きつけられたように一時間ほど眺めたことを思い出す、それから二,三度行った、もちろん写真も買った。この本には広目天は出てこなかったように思う。
 7年ほど前に歴史同好会の人につれられて若草山に登った、いい天気で良い眺めだった。それより少し前、家内と平山郁夫氏の絵を見にゆき、薬師寺、平城京跡、正倉院を訪ねた。これらのことを走馬灯のように思い出してくれる本であった。
 最後に一つ。秋艸道人(会津八一の雅号)が研究をしようと正倉院だとかへ入ろうとすると民学(早稲田大学)だから駄目といわれて、何年も入れなかった、官学の研究者は平気なのだそうだ。また、研究成果を発表するとなんだかんだと官学の学者が反駁してくる、その証拠を見せてくれというと全く出せないというばかげた話。それと道人が私学の中学の教頭をしていた時、焼餅を焼いた同僚からの嫌がらせでとうとうその学校をやめるにいたったとのこと。今もあるのかもしれないが、嫌な話である。

第908冊 羽化堂から(前登志夫) [読書感想]

 2012年11月27日(火)
 何に出ていたのかこの随筆の紹介があったので借りてきた。面白かったというより難しかった。前登志夫という家人も知らなかったし、どういう歌を歌う人かも知らなかった。難しいというのは、読んだだけでその歌の意味がすぐに分からないのである。哲学的というのか、抽象的というのか、その深い意味がすぐに分からない。
例えば
*一言で世界をうたへ 葛城の山にむかへるわれという他者
作中に引用された白洲正子の評:その一言を主神のいる葛城の山に向って、自分の中に住む何者かに『一言で世界へうたへ』といって言葉で訴えている。『われという他者』とはなんだろうか。・・・「歌集」「鳥総立(とぶさだち)」のこの歌は、詩(歌)とは何か、詩人とは何かを、端的に歌い上げている一首である。詩とは一言で世界を歌うものであり、詩である「われ」は日々あらたに再生する、見知らぬ他者であるというのだ。
白洲さんの評もわかったようで分からない。
この随筆の著者は歌人で吉野の山奥で住み、テレビやラジオ、雑誌などに登場する有名人だとのこと。吉野に住んでいてそこの春夏秋冬、鳥獣虫魚、人を歌っているのだが。古事記だとか日本書紀などに出てくる神々とか住んでる近くの神社などへ出向きその故事を漁って歩いている。
よくわからないがなんとなくわかった歌を紹介しよう。
*雪あたらし、 大普賢さやに巻く雲のうつしみの朝弥山にわたる
*老いの日は谷行ならむ天上の紅葉を焚きて雪をむかふる
*木枯らしの夜は歌詠まむ飛び散れる木の葉にまぎれあそぶ神あり
*紅葉のいちめんに敷ける庭に舞ふ風あり老いのほむらのごとく

また随筆だけに歌よりも随想の方が多い、これも氏独特の人生観によるもので面白いが、やはり神々が出てくると分からない。例えば、「田舎とは、不便な場所である。遠回りしてたどり着く場所である。そして人間と人間とが出会う土地といえるかもしれない。都会は人、人、人で混み合っているが、みんな素知らぬ顔をいる。顔を持たないといってもいい。田舎とは人とけものと神々が出会う空間ともいえよう。」
 私が唯一よくわかったのは次の一文であった。
「山中の村里の冬には、年一度のその家々の先祖供養の法要をする。もともとは開祖親鸞上人への感謝の報恩講なのだが、現実には父母や祖父母の法要となっている。法事といってもみんなでとなえる読経と、簡素な昔からの手料理に過ぎない。それでも漆塗りのお膳の上に、汁椀やお平、お壺、ご飯を盛る椀などは、すべて木彫りの内側は朱塗りである。・・・なんといっても、山家のめぐりの山畑の野菜の茹でものに胡麻をふりかけたおひたしや、ワラビやゼンマイの干の物の料理よろしく、手作りのさまざまな豆腐の煮つけが、大鉢や大皿に盛りつけられている。・・・お酒をいただき、半ば夢うつつで正信偈などを合唱していると、安心とともに、土に生きるものの泥のような泪が、山家に溢れる。」私のように山家で育ち同じ浄土真宗の門徒にすればよくわかる。
 最後の方の晩年の一言:「人が年を取る意味は、さりげなき日常の風景の中に自分の本当の貌とと出会うことかもしれない。」

一つわかりました:バーベナでした [教えてください]

長い間これはなんだろうと思っていた花の名前がわかりました何という花?1.jpg
 
これです。
バーベナと言うそうです。同じ仲間でいろいろの種類があり バーベナ・ボナリエンシスが正式な名前です。
「美女桜」と言う名前が好きなんですが、どうやら別の同じ仲間の種類らしいですね。これは1メートル近くの高さになるのですが他はそんなに大きくならないようです。色もまちまちでピンクだとか黄色もあるようですね、また宿根のものと種まきのものがあり面白いですね。今度は背の低い赤色でも探してきます。

第907冊 西行歌伝(辻邦生) [読書感想]

2012年11月15日(木)
 これも520ページと長かった、学生時代にも若干だが短歌の会に出たことはあるが「孫の歌の会だ」ということで止めた。でも旅に出たときなんかは、手帳に書き留めていたがやはりご無沙汰だったと言ってよい。だが最近また短歌か俳句をやってみたいなあと思い、俳句をやろうとある会へ出席したが「俳句には季語がいる、ということは恋、政治、仕事、夫婦喧嘩、学問の世界、たとえば山中教授のノーベル賞など季節関係のないものはテーマにならないんだ」と思いすぐにとびだしてきた。そんなことはわかりきったことではないか、と言われそうだが、仕方がない。
 そんなことで、「じゃあ、短歌についてまた少し勉強しなおしてみよう」というので借りてきたのがこの本である。「また」というのはその学生時代の修業時代(?)長塚節、若山牧水、石川啄木、良寛、西行などの本を読んだり、吉野山の奥の西行庵だとか越後の良寛の里を訪ねたりしたものだが・・・
 さてこの本は西行の歌論(4分1)というより小説である。平安から鎌倉に移る時代だから小説にしても面白いほどのテーマが山積している。清盛から頼朝の政権の遷移時代だから戦国末期、明治維新に匹敵する時代の転換点の真っ只中に生きたのが西行である。坊さんということもあり、歌人ということで両勢力に親交があるという。相当生臭い人のように思う。

以下読んでる途中に書き留めたもの(パソコン上に)にちょっと手を加えて載せる。
A. 歌とは
 ①この世の花は虚妄の花にございます。この世の月も虚妄の月にございます。それを知らずに月花を歌に詠んでみても、虚妄な文字をそこに加えるに過ぎません。
②歌詠みが花といい、月というとき、それは真如の花であり、真如の月なのです。
③ある時期から一層深まり花や月は勿論のこと山川草木、鳥獣虫魚の一つ一つが生命の恵みの豊かさを湛えるものになった 。
④また一方で俗世のことも恬淡として見ているのである。
⑤人々が離合集散して世の中は作られてゆく、私はそれらすべてをひっくるめて「歌」という透き通った球ののようなもので包んでいたい。

世の中を 捨てて捨てえぬ 心地して 都離れぬ わが身なりけり
雲晴れて 身に憂へなき 人の身ぞ さやかに月の かげは見るべき
花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に

B.
 この本の中では女院、新院といっているが前者は待賢門院で後者は崇徳天皇のことである。
①前者は藤原璋子といい、鳥羽上皇に溺愛された。西行とは恋の相手となり、道ならぬ一夜を共にしている。しかし、それ以後は会うこともできなく環境になり出家後没、別れの時の歌だと思うが
 おもかげの 忘らるまじき 別れかな 名残を人の 月にとどめて
 月見ばと 契りおきてし ふるさとの ひともやこよひ 袖ぬらすらむ
 かかる身に 生(おほ)したてけん たらちねの 親さえつらき 恋もするかな
② 崇徳天皇は保元の乱で敗れ、讃岐に流されすさまじい死に方をしている。この天皇に歌による政治をしてほしいと訴えている。これが私にはわからない。A.の歌とはにもあるように花とか月だけを詠むものではなく④、⑤のようにあらゆるものを対象にすることはわかるが、天皇の身の上に起こったことを短歌で詠えということなのか・・・?

さて、情けない話だがこの本ではそれほど多くの歌は載ってない、しかしその半分くらいはよくわからないのである。正直言って「なるほど、そうだそうだ」なんていうのはほとんどない。インタネットで西行の歌が好きだという人が引用したものをみると私でもわかる。今ここに「西行」という学生時代に買ったものがあるが、それほど難しい歌は載ってない。ということは一体どうしたのだろう??

ところでこの本の著者は『森羅万象』という言葉がよほど好きなのだろう、しかも「いけとしいけるもの」とルビを打ち、極端に言うと1ページに3か所くらい出てくる。不思議だ。


第906冊 背教者ユリアヌス(辻邦生) [読書感想]

2012年11月7日(水)
 A5版番が700ページという長い小説だった、この本はある牧師からもらったものだ、またタイトルからしてもキリスト教について解釈とか逸話とかが載っているのかと思っていたが当てが外れた。また、私はこの著者のことは全く知らなかった、50ページほど進んでから、翻訳にしては日本が流暢だなあ思い表紙を見ると原作者なのだ。
 たまたま、来年のいつごろかイタリアかギリシャへ旅したいと思っているので、テーマがローマ帝国だったので最後まで読んだ。時は紀元350年ごろで舞台はローマを離れた宮殿(現在の地名でいうとイスタンブール、ミラノ、アンテオキヤ等々)、戦場で共に感慨深いものがあった。時は4世紀ごろだから日本でいえば古墳時代の終わりごろである。どんな日本では住居に住んでいたか分からないが竪穴式住居ではなかったと思うが木で囲った貧弱なものだったと思う。しかし彼の地では大理石で作った立派な宮殿があり、どの宗教の拠点もなかなか立派なものであったようだ、この違いは何から来るのであろうか。
 次は舞台の話だが、フランスからペルシャだから、日本のそれと比較するのがおかしいが、ともかく広い、したがって何をするにものんびりしているという感じである。移動はすべて徒歩か馬だし、電話もない、無線もないので連絡手段はすべて手紙か口述である。たとえば最後の戦争のところで援軍が来るのか来ないのか、どこまで来ているのが分からないのでやきもきしている。
 当時はローマ帝国がキリスト教を認めたという段階で、まだ国教とはしていない、したがって主人公のようにギリシャ神話というのか多神教でがちがちのものもおれば、キリスト教で頭が一杯だという人もいる。著者は前者派のようであまりキリスト教のことをよく言ってない。まあ主人公が前者なので仕方がないか。たとえば宮廷の役人はほとんどがキリスト教徒であるという、というのは帝王がキリスト教ならそれに右に倣えの方が住みやすいし、出世しやすいからだ、とかいろいろの宗派があり、それが対立して人前であろうとところ構わず喧々囂々の騒ぎだとか、多神教の神殿を焼打ちに合わせたとかである。一方旧教というのかローマ古来の多神教(何という名前か知らないが)では生贄として大きな牛を殺して祀るという習慣があったらしくそれが当時まだ残っていたという、しかしこの舞台のころは祭壇だとか床は荒れ放題になっていた。
 多分20年くらいの短期間の話だと思う、このころの話というのはローマ史にもあまり出てこないように思う。というのは歴史というのは何か変化があれば歴史書に出てくるが、大した変化がなければすいすいと進んでゆく、これから50~100年位するとローマ帝国滅亡というごたごたが起きるはずである。かといってこの小説の時代のころが平穏だったというわけではないが・・・

第905冊 「本当のこと」を伝えない日本の新聞(マーティン・ファクラー) [読書感想]

2012年11月2日
 先月の初めだと思うが、新聞にこの本が載っていた。すぐに図書館で調べたがわが町の図書館には入ってなかった、県内の図書館から借りてもらえないかと頼んだが、新刊書はダメだと言われて「じゃあ、この図書館で買って欲しい」と言ったところ昨日届いた。新書版で200ページほどだからそれほど長いものではなかったがあっという間に読んでしまった。当然前から読んでいるものは追い越しである。
 以前からそう思っていたし、「そうだそうだ!!」と拍手したのが記者クラブ制である。大本営発表の記事である。韓国では止めたというのになぜ日本だけが残っているのか。当事者同士が「止めよう」などというはずがない、やはり国民が大声を上げていうしかない。場合によっては不買運動でも構わない。共同発表、共同記者会見は良いとしても、外人記者とかフリー・ジャーナリストが入れないというのは一体何なんだろう。今までも外人記者は申し込んでいるのだろうが厚い壁は破れないでいる。タイトルの「「本当のこと」を伝えない日本の新聞』のすべてがこれにかかっている。「ある会社の悪口を書くと広告収入が入らなくなるから、やめとけ」と幹部に言われる。自主規制だ、「大本営発表の記事を書いおれ」というわけだ、これじゃ何をかいわんやである。日本の大新聞の記者の給料はアメリカのそれよりうんと高く、人によっては35,6歳で1000万近く貰ってるとのこと。だ。
 最初に東日本大震災のことが縷々述べられているが、この記者の場合人が行かないところゆく、ということで南三陸町とか飯館村とかの話が載っている、中でも圧巻は南相馬市でのことだ。そこへ行ったときは日本の記者は一人もいなかった、「危ないかもしれない」と分かって皆去ってしまったのだ。市長は「日本のジャーナリズムは全然だめですよ!彼らは皆逃げてしまった!」と憤っていた。それから何回も出てくるのがSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)に関する不可思議な行動だ。
 小沢一郎、ホリエモンに関する意見もいろいろある。なぜ小沢があんなにたたかれなくちゃいけないのか、まだ白とも黒とも分かってなのに・・・そこに検察のなんとか小沢を有罪にしようとという検察側の作戦があったという。後者については若き実業家をなぜああも悪者にしなきゃならないのか、日本は老害に陥っているという。オリンパス事件についても海外と日本の報道の差をわからさせてくれた。ただ暗澹となるだけだ。「中国より閉鎖的な日本のマスコミ」と決めつける。
 そのほか「大企業のの重役とベッタリ付き合う記者」、「日経は『企業広報掲示板』」、「これでは『官僚制度の番犬』だ」、「政治家のために記者がバースデー・パーティー?」、「批判記事を書いた私に「広告引き上げ」という圧力」、「新聞が当局を動かすのか 当局が新聞を動かすのか」等々まだまだいろいろ指摘している。
 最後に新聞ウエブ版について、日本は問題にならないくらい遅れてるとのこと、私も朝日のウエブ版を購読しているが、紙の方が楽だ。
 ともかく一度読んでみて下さい。